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「五代目・古今亭志ん生~火焔太鼓」

_9new 【番外編】 五代目・古今亭志ん生 happy01

本名: 美濃部孝蔵(1890(明治23)6月28日~1973(昭和48)9月21日)

家族構成: 妻りん(1971(昭和46)年没)、長女美津子(1924(大正13)年生)、次女喜美子(1925(大正14)年生)、長男清(1928(昭和3)年生)、次男強次(1938(昭和13)年生)の6人家族であった。

 神田生まれで、チャキチャキの江戸っ子。父は巡査“士族の出”という家柄の五男に生まれた。10歳の頃から酒を覚え、15歳の頃には一丁前に“飲む、打つ、買う”の三拍子揃った遊び人になっていたらしい。当時四年制だった尋常小学校を素行不良で卒業できず、父親の年金証書を持ち出して金を借りては放蕩三昧。激怒した父親に槍で突き殺されそうになり出奔。以来、生家には戻らなかったそうである。

_11_2   明治38年(1905)頃、素人落語の会“天狗連”に入り、三遊亭圓盛の弟子盛朝としてスタートした。5年後、二代目三遊亭小圓朝に入門、晴れてプロの落語家となり、三遊亭朝太を名乗る。二ツ目で圓菊、真打ちで金原亭馬きんとなり、早稲田の下宿屋の娘清水りんと結婚。昭和14年(1939)に古今亭志ん生に落ち着くまでに、何と17回も改名したのである。

_2_2  改名と言えば聞こえは良いが、実は借金取りの目を眩ますために年中芸名を変えていたのだそうだ。したがって客に名前を覚えていただく間もなかったのであった。また、引っ越しも何回となく繰り返した。こちらの方も、家賃をためたあげく、追い出されるか逃げ出すかであった。この頃、本所業平橋(現、墨田区業平1丁目)の「なめくじ長屋」といわれる有名(?)な所へ引っ越したのであった。大震災(大正12年)後に池を埋め立てた上に作られた粗末なバラックに、かみさんと娘二人、生後間もない長男を連れて移り住んだ。「なめくじ長屋」は家賃がタダ、という何とも物凄い所で、“夏場は蚊柱が立ち、家に入るには息を止めて蚊帳に飛び込む”という離れ業を要求されるのであった。また、こんな逸話がある。

_3  高座に上がるため、出かける用意をする志ん生。部屋に掛けてある一張羅の着物を見て。「あれっ? オレの着物じゃあねぇな。模様が付いてらぁ。」と言うと、おかみさんのりんが「馬鹿だねぇ、あんた。そりゃ、なめくじの這った跡じゃないか。」と言ったという。いやはや何とも、落語を地で行ってます。

Photo  また、志ん生師匠は無類の酒好きで通っていた。大正12年(1923)9月1日正午前、関東一円を突如襲った“関東大震災”の折、“もの凄く恐がり”の志ん生は、大慌てで家から飛び出すと、一目散に駆けて行く。その先とは、酒屋であった。「死んじゃう前に、酒ください。」「あたし達は逃げますから、好きなだけ呑んでお行きなさい。」と言ったといいます。一升五合も呑んだあと千鳥足で、逃げ惑う人たちを尻目に、なお一升瓶二本を大事に抱えていた、という豪傑振りであった。

_12  真打ち披露を三ヶ月後に控え、贔屓の大旦那から祝儀を二百円も貰った志ん生師匠。その祝儀を持って、酒を飲み、吉原にまで足を伸ばして遊んでしまい、結局以前のボロを纏って真打ち披露の高座へ上がったのだそうだ。真打ちのお披露目なのだから、紋付き、羽織、袴、履き物まで新調してやろう、という気持ちを踏みにじった挙げ句の啖呵が奮っている。「頼みもしねぇのに、勝手に呉れたんじゃねぇか。三月も経っちゃあゼニなんかある訳がねぇや。形(なり)を見せるんだったら、呉服屋の旦那でも呼んでくりゃ良いんだ。あたしゃ、噺家なんだから芸を聞いて貰うんだぃ。」と言ったんだそうです。

Photo_2Photo_3   とどめの一発。志ん生師匠高座に上がったのは良いが、へべれけ。噺を始めたが、そのうち居眠りをしちまった。粋な客がいたもので「風邪ひいちゃいけないから、何か掛けておやりよ。」「気持ち良さそうに寝てるんだ。寝かしといてやりな。」と言ったとか、言わないとか……。しばらくすると、起き出して、「どうも、何だね。やる気がしないんで、ひとつ手踊りでもやりましょう」って、引っ込んじゃいました。また、人情噺「替り目」を高座に掛けた折、野次を飛ばしている酔客数人、誰も窘める者がないのを良いことに、「頑張れよ、爺さん!」と囃したてたが、あまりの名人芸に、しまいには大人しく聞き入っていたという。

Photo ……と、まぁこんな伝説が残っている志ん生師匠ですから、どこか憎めない人だったのでしょう。83歳の人生を全うし、昭和36(1961)年に脳出血のため入院生活を強いられますが、約一年後には復帰し、78歳まで高座を務めたのですから……。その間に、昭和39(1964)年に紫綬褒章。昭和42(1967)年には勲四等瑞宝章を授与されました。

 長男の清は、落語家で十代目金原亭馬生氏、愛娘は池波志乃(女優)さん、その旦那は俳優の中尾彬さん。次男の強次は、三代目古今亭志ん朝氏。

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 実は、小学館から発売された「落語・昭和の名人 -五代目古今亭志ん生-」を買い求め、懐かしくもあり、張りのあった頃の録音を目の当たりにして、一人悦に入っております。付属CDには、昭和31(1956)年「火焔太鼓」、昭和35(1960)年「替り目」、昭和36(1961)年「唐茄子屋政談」の円熟期に録音された三題が入っており、どれも凄く楽しめる演題でございました。

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