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2011年11月

「塀の中の中学校」

2010_2塀の中の中学校」 (平成22年度文化庁芸術祭参加作品)

演出: 清弘誠   制作: TBSテレビ/毎日放送

企画協力: 巡田忠彦(TBSテレビ報道局) 角谷敏夫(元桐分校教官)

協力:法務省・松本少年刑務所・旭川刑務所

出演: オダギリジョー (石川順平(29)桐分校教師)  大滝秀治 (佐々木昭男(76)桐分校生徒)  すまけい (西川房雄(ジャック・原田(66)桐分校生徒))  千原せいじ (小山田善太郎(39)桐分校生徒)  染谷将太 (田中秀一(芸名、龍神姫之丞(22)桐分校生徒))  森山未來 (森大河(29)希望の一人息子)  高橋克実 (太田努(45)カメラ誌編集長)  金田明夫 (高木和雄(58)本校校長)  村田雄浩 (杉田一夫(43)刑務官)  矢崎滋 (野口宏治(54)刑務所長)  松澤一之  八十田勇一  掛田誠  大坪貴史  大門伍朗  山本哲也 (橋本肇(45)刑務所担当医)  角野卓造 (三宅雄太(57)桐分校教師)  蟹江敬三 (龍神小五郎(55)姫之丞の父親)  橋爪功 (石川政明(59)順平の父親)  渡辺謙 (川田希望(50)桐分校生徒)

 久しぶりの書き込みであります。この作品は昨年10月11日にTBSテレビ/毎日放送で放映されたヒューマン・ドラマです。私はつい先日、10月30日にCSのTBSチャンネルHDでの放映分を鑑賞しました。

 涙、涙の鑑賞になった作品をご紹介いたします。昭和30年設立といいますから、私がまだ5歳の幼稚園児の頃から既に“受刑者にも義務教育を受けさせよう”という理念から、更正、再犯防止に真正面から取り組んだ実話です。

O0800060010793850012 全国の受刑者7万人強のうち、1000人余の義務教育を終えていない者の中から、特に刑務所内での生活態度が良好で、学習意欲がある事を認められた希望者(若干名)を全国でたった一カ所の公立中学校へ入学させ、1日7時間、1年間13科目の授業を全うした結果、義務教育課程を修了させ、卒業証書を与える。それが、長野県松本市、松本少年刑務所内に現存する公立中学校「松本市立旭町中学校桐分校」で、昼食30分以外はすべて授業、消灯時間も特に他の受刑者より1時間延長され、午後10時までは自習・予習が許されている。また、作業は免除となっている。

 ここへやって来た5人の義務教育課程取得希望の受刑者たちと、少年院で5年間の教職後にやって来た新任法務教官・石川順平(オダギリジョー)、主任法務教官・三宅雄太(角野拓造)や、それらをとりまく人々の一年にわたる物語。

 ものがたりは、新任法務教官・石川順平の、『桐分校は、いろんな事情で義務教育を終えることができなかった人たちの最後の救済の場所。犯罪の道から更生の道への架け橋……』というナレーションではじまる。

Heityuu 最年長76歳の佐々木昭男(大滝秀治)を先頭に、66歳のジャック・原田(すまけい)、50歳の川田希望(渡辺謙)、39歳の小山田善太郎(千原せいじ)、22歳の田中秀一(染谷将太)が真新しい学生服を身にまとい、入学式会場である所内の体育館に刑務官に連れられてやって来る。

 教室に5人の生徒と、2人の教師がいる。初日なので新しい教科書を前に机に座り、主任教務官が、それぞれ名前と出身地だけ紹介し、お互いの“夢”を簡単にノートに書くよう促す。すると、大阪のテキ屋・小山田が、「自分は文字を書くより話した方がええヮ」と名前、年齢、出身地のほかに、教務官が止めるのも聞かず罪名・刑期なども話し出してしまった。

Imagescausw0mv 小山田善太郎は、大阪・芦屋出身のぼんぼんで、父親は商社マン、年子の弟と妹がいるが、小学6年の時に患った病気のため学業が2年遅れ、 弟が中学生になっても自分は妹と同級生。すっかりプライドを失ってしまい、そのまま不登校を続けた末に大阪へ家出。そのままテキ屋になった。ある時、寺の境内での露店を巡る新参業者とトラブり、その露店に放火した結果、寺に延焼して関係ない子供を一人焼死させてしまい、岡山の刑務所に服役、7年の刑期である、という。

Img_326172_4843380_1 次いで佐々木昭男が席を立ち、“長崎県出身、原爆が落ちた時は少し離れた所で当時13歳、勤労奉仕をしていた。父親がシベリアで抑留されたまま帰ることはなく、家計を助けるため栃木の豆腐屋で小僧の奉公に出て、住み込んでいたために学校には行っていない”といい、席に着こうとすると、小山田が「何や、それだけか? 何で入ったんや」と罪名までも聞くので“重度の認知症であった妻の十年に渡る介護に疲れ、妻を殺して自分も死ぬつもりであったが……”と語り出す。刑期7年。狭心症、慢性膵炎、糖尿病であり、ニトロは欠かせない。

Img_326172_4843380_3 ジャック・原田と名乗っているが、本名は西川房雄。東京都出身、脳梗塞のため左半身が不自由。自己申告によると、読み書き・計算は小学校3年生程度しかできない。全国を流れ歩き、水商売をしていたが、25歳の頃、中学の英語の教科書“Jack & Betty”からヒントを得、名前をジャック、また当時あこがれていたプロボクサー・ファイティング原田から姓を拝借。米国カルフォルニアで親、兄弟は裕福な大農園を営み、自分はスポーツ医学を専攻する日系人と偽り、女にモテる事を武器にヒモ生活を続けていた。ある時貢いでくれていた女が公金横領で逮捕されたことから足がつき、結婚詐欺で服役。刑期7年。

Gnj1008290510016p1 川田希望は岩手県花巻市出身。10歳の頃に父は借金を苦にし、雪の中に埋もれて死に、14歳の時に母も食う物もない生活の中で必死に生きた末に亡くなった。当時、小学校でいじめに遭い「臭ェ、汚ねェ」と罵られ、5年生から登校していなかった。腕の良い鳶職だった父の友人から東京に呼ばれ、中卒と偽ったまま一生懸命に修行した。鳶の親方にも目をかけて貰い19歳の時に親方の娘と結婚。20歳の時に息子も授かった。店を譲り受け、自分が親方になったのちも束の間の幸せを感じていた矢先、仕事仲間に中学も卒業していないことが露見。さんざん馬鹿にされ、貧乏の末に死んだ母親の悪口までいわれるに至り、辛抱できずに罵倒した二人の事務所に乗り込み角材で殺害。妻は子供を連れて離婚。複数殺人で服役、刑期15年。

Img_326172_4843380_2 田中秀一、大分県出身。大分を中心に活動する大衆演劇“龍神一座”の座長の息子。4歳で初舞台を踏んだのち、全国各地を回り芸能生活を続けているため、学校は転校の連続で小学校も中学校もほとんど通学できない状態であった。「高校へは必ず通わせてやる」という父の言葉を信じ、甲子園球児を夢見て、暇をみつけては壁を相手にキャッチボールに励んでいた。一座を飛び出しても行く当てもなく、生きる術を知らぬ境遇と父親を怨みながらも耐え、舞台に立ち続けていた。だが高校入学の時期になっても、一座の花形女形、商売道具としてしか見てくれていない父に不満が爆発。ある日、簪(かんざし)を突き立て、殺人未遂で服役、刑期4年6ヶ月。

 教務員室に帰ってきた石川は、三宅に愚痴をこぼす。“少年院と違い、歳は食ってるし、大人の事情は重いし、長い刑期は食らってるわ、腹は据わっているしで、何かやり辛いですね”と言うのを同室の法務教員も怪訝な顔で聞いている。
 

と、ここまでが物語の導入部です。これから、まだまだいろいろな出来事が山積みです。

20100331mog00m200029000p_size8 三宅から、“梅雨が明けるまでの3ヶ月が勝負だ、それまで頑張ってくれ”といわれ、やがてその頃には、それぞれの学習にも進歩が見られるようになり、学習態度も落ち着いてきた。毎日の予習時間を活用し、佐々木は、アフファベットを必死で覚え、川田は漢字辞典で文字を覚えようとしていた(この男は、自殺を決意し遺書に書く文字を覚えようとしていたのだが……)、西川は算数の計算に没頭し、田中は社会科の歴史に興味をもった。写真コンテストに応募していた石川だけが結果発表が気がかりで、まったく落ち着きがなかったのである。

 法務教官の石川順平は“プロの写真家になりたい”という夢を捨て切れずにいた。父は高卒の地方周りの営業マン。父も母も、息子が法務局に入省でき、国家公務員になった息子の事を誇りに思っていた。だが、大学同期で同じ写真部であった男が大物写真家と共に新聞に取り上げられている記事を見、“写真の腕は俺より数段下な奴が……”と嫉妬する。

 石川の応募した作品がコンテストの予選に残った。大賞か入賞したら、刑務所内の法務教官などは年内に辞めるつもりでいるのだった。だが、予選に残りはしたが審査員たちからは、彼の作品は真っ先に落とされてしまっていた。

 失意の底でヤケ酒を飲み過ぎ寝過ごしてしまい、生徒5人が必死で頑張った“それぞれの出身地の特産物や特長”を調べて発表するその当日に遅刻してしまい、研究発表は中止、酒臭い息で“身内に緊急事態が生じ、どうにもならなかった”と大嘘をつき、研究発表は来週に延ばすことにする、と発表した。“緊張が切れてしまった、もうやりたくない”という生徒に、“普通、中学生が緊張が切れたから、やりたくないなどと、そんな我が儘はいわない”と、半ば開き直る石川に、“私たちは、学校に行った経験がなく、まして研究発表などという、自分で考え、みんなの前で発表するなどという経験がない。この一週間の緊張を、どんな思いで過ごしてきたか……”“先生は、私たちを馬鹿にするのはともかく、仕事を馬鹿にしてはいませんか”と核心を指摘されてしまった。何も言い返せずにいる石川に、“我々を普通の中学生だと思っては困る”と憤慨した生徒たちから顰蹙を買ってしまう。

7d237739d7d968e0b4cb3ae9de656e41_2 どうにも我慢できない生徒たちは、石川にリンチを加えることにした。授業の終了間際に取り囲まれ、“一人殺すも、二人殺すも同じだ”と凄まれ、小山田が殴りかかる所へ刑務官・杉田(村田雄浩)が間一髪のところで止めた。厳重な懲罰間違いなしであったが、石川は“自分の不始末は皆ときっちり話し合うから、この事は三宅には黙っていて欲しい”といい出す。

 しかし杉田から報告を受けた刑務所長の野口(矢崎滋)は、石川を厳重注意、生徒全員を3日間の閉居罰(一日中、何もせずに正座を続ける罰)を通告し、楽しみにしている秋の遠足は中止になってしまった。

 ある日、川田に面会者があった。息子の“大河(森山未來)”であったが、成人した息子は、別れたのちも服役した父のことを母はずっと気にかけていたと告げ、中学校に入学したと聞いた母が喜び、是非面会に行ってくれ、といわれたと……。息子が大学院を卒業し、現在は大学で教えていることを知ると、涙顔をくしゃくしゃにして素直に喜んだ。川田と同じ花巻市出身・宮沢賢治の詩集を差し入れてもらったが、“読めねぇよ”という父に、「よだかの星」の一説を開き、その頁を示し、“頑張れば、読めるようになるよ”と優しくいう。それを読むために川田は一層漢字を覚えようと努力するのであった。

 その年が暮れようとしていた。大晦日はカップ麺で年を越し、仕出し弁当のおせちと雑煮で新年が明けた。そんなある朝、恒例の朝の体操中、高齢と半身麻痺の佐々木と西川は、いつも壁を向いて立っているだけという姿があったが、寒さのせいで急に佐々木が崩れるように倒れた。狭心症の発作が起きたのだ。刑務所内の医務官から心臓のバイパス手術をしなければならないかも知れない、と知らされた佐々木であったが、“どうしても中学だけは卒業したい、何とかニトロで見逃してもらえないか”と訴える。

Img_326172_4843380_4 そんな中、小山田だけは落ちこぼれていき、完全にやる気を捨ててしまっていた。“作業逃れに勉強したい振りをしていただけだ”と告白し、教務官や他の生徒にも退学を懇願したが、受け入れてもらえない小山田は日々悶々とし、発作的に体育の授業中、屋上から飛び降りて自殺しようという暴挙に出た。鳶職だった川田が刑務員たちが手をこまねいている隙に雨といをつたい、屋上から飛び降りる寸前の小山田を救った。こうして川田の自殺願望は姿を消していき、生きる望みをつなぐ。当然、小山田は退学になり、元の岡山刑務所に移送されていった。

Heinonaka 2月に入ったある朝、不祥事が起きたことで、一時は中止になった遠足が行われた。支給されたお揃いのブレザーとズボン、革靴とえんじ色のネクタイを着用し、腰縄も手錠もされず、移送用のバスに乗り込んだ。法務教官や刑務官たちは4人の受刑者を信頼したのだった。この時に逃亡し自殺するのだ、と計画していた川田も、本校である「旭町中学校」への遠足で校庭に降り立ったとき、片方だけ靴下を脱いだ素足で他の生徒たちと共に校庭の地面をこすって、刑務所ではない外に立っていることを実感するのであった。校舎のベランダには「ようこそ桐分校の皆さん」と書かれた横断幕と生徒たちが総出で手を振り歓迎してくれている。この子たちは“同級生と後輩だ”と三宅にいわれ、手を振って応え、深々と礼をするのである。

Img1f6bb6d2zik4zj いろいろな出来事を経た一年が過ぎ、いよいよ卒業式。本校の高木校長から卒業証書を授与され、晴れ晴れと胸を張った4人の卒業生たち。川田は総代で答辞を読むのであった。こうして無事卒業できた4人は卒業証書を手に、残りの刑期を過ごすため、元居たそれぞれの刑務所へ帰っていくのであり、佐々木は残り少ない人生を、刑期の残る旭川刑務所へ移送されていくのだった。

Title_mibugishiden この物語の中で、渡辺謙の台詞は岩手訛り。以前、「壬生義士伝/新選組でいちばん強かった男」の主人公・吉村貫一郎という南部盛岡藩の武士から新選組に身を投じた男を演じたことがありましたが、今回も同じ岩手弁での好演でした。

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