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2009年2月

「五代目・古今亭志ん生~火焔太鼓」

_9new 【番外編】 五代目・古今亭志ん生 happy01

本名: 美濃部孝蔵(1890(明治23)6月28日~1973(昭和48)9月21日)

家族構成: 妻りん(1971(昭和46)年没)、長女美津子(1924(大正13)年生)、次女喜美子(1925(大正14)年生)、長男清(1928(昭和3)年生)、次男強次(1938(昭和13)年生)の6人家族であった。

 神田生まれで、チャキチャキの江戸っ子。父は巡査“士族の出”という家柄の五男に生まれた。10歳の頃から酒を覚え、15歳の頃には一丁前に“飲む、打つ、買う”の三拍子揃った遊び人になっていたらしい。当時四年制だった尋常小学校を素行不良で卒業できず、父親の年金証書を持ち出して金を借りては放蕩三昧。激怒した父親に槍で突き殺されそうになり出奔。以来、生家には戻らなかったそうである。

_11_2   明治38年(1905)頃、素人落語の会“天狗連”に入り、三遊亭圓盛の弟子盛朝としてスタートした。5年後、二代目三遊亭小圓朝に入門、晴れてプロの落語家となり、三遊亭朝太を名乗る。二ツ目で圓菊、真打ちで金原亭馬きんとなり、早稲田の下宿屋の娘清水りんと結婚。昭和14年(1939)に古今亭志ん生に落ち着くまでに、何と17回も改名したのである。

_2_2  改名と言えば聞こえは良いが、実は借金取りの目を眩ますために年中芸名を変えていたのだそうだ。したがって客に名前を覚えていただく間もなかったのであった。また、引っ越しも何回となく繰り返した。こちらの方も、家賃をためたあげく、追い出されるか逃げ出すかであった。この頃、本所業平橋(現、墨田区業平1丁目)の「なめくじ長屋」といわれる有名(?)な所へ引っ越したのであった。大震災(大正12年)後に池を埋め立てた上に作られた粗末なバラックに、かみさんと娘二人、生後間もない長男を連れて移り住んだ。「なめくじ長屋」は家賃がタダ、という何とも物凄い所で、“夏場は蚊柱が立ち、家に入るには息を止めて蚊帳に飛び込む”という離れ業を要求されるのであった。また、こんな逸話がある。

_3  高座に上がるため、出かける用意をする志ん生。部屋に掛けてある一張羅の着物を見て。「あれっ? オレの着物じゃあねぇな。模様が付いてらぁ。」と言うと、おかみさんのりんが「馬鹿だねぇ、あんた。そりゃ、なめくじの這った跡じゃないか。」と言ったという。いやはや何とも、落語を地で行ってます。

Photo  また、志ん生師匠は無類の酒好きで通っていた。大正12年(1923)9月1日正午前、関東一円を突如襲った“関東大震災”の折、“もの凄く恐がり”の志ん生は、大慌てで家から飛び出すと、一目散に駆けて行く。その先とは、酒屋であった。「死んじゃう前に、酒ください。」「あたし達は逃げますから、好きなだけ呑んでお行きなさい。」と言ったといいます。一升五合も呑んだあと千鳥足で、逃げ惑う人たちを尻目に、なお一升瓶二本を大事に抱えていた、という豪傑振りであった。

_12  真打ち披露を三ヶ月後に控え、贔屓の大旦那から祝儀を二百円も貰った志ん生師匠。その祝儀を持って、酒を飲み、吉原にまで足を伸ばして遊んでしまい、結局以前のボロを纏って真打ち披露の高座へ上がったのだそうだ。真打ちのお披露目なのだから、紋付き、羽織、袴、履き物まで新調してやろう、という気持ちを踏みにじった挙げ句の啖呵が奮っている。「頼みもしねぇのに、勝手に呉れたんじゃねぇか。三月も経っちゃあゼニなんかある訳がねぇや。形(なり)を見せるんだったら、呉服屋の旦那でも呼んでくりゃ良いんだ。あたしゃ、噺家なんだから芸を聞いて貰うんだぃ。」と言ったんだそうです。

Photo_2Photo_3   とどめの一発。志ん生師匠高座に上がったのは良いが、へべれけ。噺を始めたが、そのうち居眠りをしちまった。粋な客がいたもので「風邪ひいちゃいけないから、何か掛けておやりよ。」「気持ち良さそうに寝てるんだ。寝かしといてやりな。」と言ったとか、言わないとか……。しばらくすると、起き出して、「どうも、何だね。やる気がしないんで、ひとつ手踊りでもやりましょう」って、引っ込んじゃいました。また、人情噺「替り目」を高座に掛けた折、野次を飛ばしている酔客数人、誰も窘める者がないのを良いことに、「頑張れよ、爺さん!」と囃したてたが、あまりの名人芸に、しまいには大人しく聞き入っていたという。

Photo ……と、まぁこんな伝説が残っている志ん生師匠ですから、どこか憎めない人だったのでしょう。83歳の人生を全うし、昭和36(1961)年に脳出血のため入院生活を強いられますが、約一年後には復帰し、78歳まで高座を務めたのですから……。その間に、昭和39(1964)年に紫綬褒章。昭和42(1967)年には勲四等瑞宝章を授与されました。

 長男の清は、落語家で十代目金原亭馬生氏、愛娘は池波志乃(女優)さん、その旦那は俳優の中尾彬さん。次男の強次は、三代目古今亭志ん朝氏。

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 実は、小学館から発売された「落語・昭和の名人 -五代目古今亭志ん生-」を買い求め、懐かしくもあり、張りのあった頃の録音を目の当たりにして、一人悦に入っております。付属CDには、昭和31(1956)年「火焔太鼓」、昭和35(1960)年「替り目」、昭和36(1961)年「唐茄子屋政談」の円熟期に録音された三題が入っており、どれも凄く楽しめる演題でございました。

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「パッチギ!」

2004new 2004(平成16)年・シネカノン(ドラマ)・119分

お薦め度: ★★★★☆ happy01

監督: 井筒和幸  原案: 松山猛

出演: 塩谷瞬 (松山康介)  高岡蒼佑 (リ・アンソン)  沢尻エリカ (リ・キョンジャ)  楊原京子 (桃子)  尾上寛之 (チェドキ)  真木よう子 (チョン・ガンジャ)  小出恵介 (吉田紀男)  波岡一喜 (モトキ・バンホー)  オダギリジョー (酒屋の息子坂崎)  光石研 (布川先生)  加瀬亮 (野口ヒデト)  キムラ緑子 (アンソン、キョンジャの母)  余貴美子 (康介の母さなえ)  大友康平 (KSB ラジオ局ディレクター)  前田吟 (バンホーの父)  笑福亭松之助 (団子屋のおっちゃん)  ぼんちおさむ (ボーリング場支配人)  笹野高史 (チェドキの伯父)  ケンドーコバヤシ (東高空手部大西)  桐谷健太 (近藤)  出口哲也 (安倍) 平松豊 (滝本) 坂口拓  (大阪ホープ会のリーダー)  木下ほうか (ボンファ)  江口のりこ (ヘヨン)  ちすん (シルサ)  徳井優 (大西の父)  松澤一之 (KSBラジオ局プロデューサー椿) 小市慢太郎 (楽器店主) 長原成樹 (アル中のおっちゃん)

 今回は、京都に暮らす在日朝鮮人の日常を爽やかに描いた2004年公開のコメディ「パッチギ!」です。第二弾は予想に反して、それほど面白くはなかった感じがする。

 「ゲロッパ!」「岸和田少年愚連隊」の井筒和幸監督が60年代の京都を舞台に描いた青春群像ドラマ。ザ・フォーク・クルセダーズのカバーでも知られる朝鮮分断の悲しみを歌った名曲『イムジン河』、松山猛による自伝的小説『少年Mのイムジン河』をモチーフに、「穴/夢穴」の羽原大介と井筒監督が共同で脚本を執筆。撮影を「パローレ ~あまい囁き~」の山本英夫が担当している。主演は、「TOKYO NOIR トウキョーノワール」の塩谷瞬と「コンクリート」の高岡蒼佑、「問題のない私たち」の沢尻エリカ。第17回東京国際映画祭特別招待作品部門出品、文化庁支援作品。タイトルの“パッチギ!”とは、ハングル語で“突き破る、乗り越える”という意味で、“頭突き”の意味をも持つ。

 【あらすじ】 騒動を巻き起こす日本と在日朝鮮の高校生たちの恋や友情を熱く感動的に綴る。在日朝鮮人の女子高生に一目惚れした日本人高校生の恋の行方と、彼らを巡る若者たちの姿を活写した青春ドラマ。

_10_4 【ものがたり】 1968年の京都。いきなりジャズ喫茶で“OX(オックス)”の演奏から物語は始まる。当時流行していた“グループ・サウンズ”を見て、興奮のあまり失神する女性客が大勢いた。京都府立東高校2年生の軟弱な二人組“康介(塩谷瞬)と紀男(小出恵介)”は、ビートルズの髪型を真似、“カーナ・ビーツ”を気取っているのだが、女の子にさっぱりモテない。そんな時、九州からバスで卒業旅行に京都へやって来ていた悪ガキ高校生が、下校途中のキョンジャ(沢尻エリカ)とシルサ (ちすん) をからかった事から、朝鮮高校の生徒らが押し寄せ、バスを横転させる事件が起こった。

_7_8  授業中、毛沢東に傾倒し“毛沢東語録”を振りかざす担任の布川先生(光石研)から、「戦争をなくすために、戦争をするのだ」と、“平和”の使者として、敵対する朝鮮高校に親善サッカー試合を申し込みに行くように言われ、嫌々やって来た康介と紀男だったが、職員室を探すうち、吹奏楽部でフルートを吹く女子高生・キョンジャに出会い、一目惚れする。ところが、彼女は朝高の番長アンソン(高岡蒼佑)の妹だったのだ。そ_18_5れでも諦め切れない彼は、彼女らが演奏していた『イムジン河』を酒屋の息子(オダギリ・ジョー)に習い、ギターを練習し、古本屋で買ってきた辞書で片言ながら韓国語を覚え、帰国船で祖国に帰る決意をしたアンソンを祝う宴会の席で、彼女と合奏。見事、仲良くなることが出来たのであった。この宴席に飛び入り参加したKSBラジオ局のディレクター(大友康平)の勧めにより康介は“イムジン河”をラジオで歌うことになった。

_15_2  しかしその一方で、アンソンたち朝高と東高空手部(ケンドー・コバヤシら)との争いは激化するばかり。遂に、アンソンの後輩・チェドキ(尾上寛之)が事故で命を落としてしまう。悲しみの通夜。参列した康介は、遺族(笹野高史)から日本に対する恨みをぶつけられ、未だ民族間に越えられない壁があることを痛感しショ_16 _6 ックを受ける。だがその夜、ラジオの“勝ち抜きフォーク合戦"に出演した彼は、複雑な心境を放送禁止歌の『イムジン河』に託して熱唱。果たして、それはキョンジャの胸に届き、同じ頃、東高空手部との抗争に臨んでいたアンソンもまた、高校を中退して看護士になっていたチョン・ガンジャ(真木よう子)から、恋人・桃子(楊原京子)の出産の報せに少年の季節が終わったことを自覚するのであった。こうして、それぞれの様々な壁を突き破った彼らは、未来へ向けて新たな一歩を踏み出すのであった……。

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【お詫びと訂正】 今回、ご指摘がありました箇所“下校途中のキョンジャ(沢尻エリカ)とヘヨン (江口のりこ) をからかった事から、朝鮮高校の生徒らが押し寄せ、バスを横転させる事件が起こった。” を“下校途中のキョンジャ(沢尻エリカ)とシルサ (ちすん) をからかった事から、朝鮮高校の生徒らが押し寄せ、バスを横転させる事件が起こった。”に訂正いたしました。

 謹んで、お詫び致します。

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「飢餓海峡」

1965new 1964(昭和39)年・東映(サスペンス)・183分

お薦め度: ★★★★★ weep

監督: 内田吐夢  原作: 水上勉

出演: 三國連太郎(犬飼多吉/樽見京一郎) 左幸子(杉戸八重) 伴淳三郎(弓坂吉太郎) 高倉健(味村時雄) 加藤嘉(杉戸長左衛門) 風見章子 (樽見敏子) 進藤幸 (弓坂織江) 加藤忠 (刈田治助) 岡野耕作 (戸波刑事) 菅原正 (佐藤刑事) 志摩栄 (岩内署長) 外山高士 (田島清之助) 河合絃司 (単本虎次郎) 最上逸馬 (沼田八郎)安藤三男 (木島忠吉) 曽根秀介 (朝日館主人) 牧野内とみ子 (朝日館女中) 北山達也 (札幌の警部補) 山本麟一 (和尚) 大久保正信 (函館の漁師辰次) 矢野昭 (下北の漁師) 西村淳二 (下北の巡査) 遠藤慎子 (巫子) 田村錦人 (大湊の巡査) 沢彰謙 (来間未吉) 安城百合子 (葛城時子) 荒木玉枝 (富貴屋のおかみ) 河村久子 (煙草屋のおかみ) 亀石征一郎 (小川) 須賀良 (鉄) 八名信夫 (町田) 久保一 (池袋の警官) 北峰有二 (警視庁の係官) 三井弘次 (本島進市) 沢村貞子 (本島妙子) 高須準之助 (竹中誠一) 藤田進 (荻村利吉東舞鶴警察署長) 鈴木昭夫 (唐木刑事) 関山耕司 (堀口刑事) 斎藤三男 (嘱託医)

Img_471736_57463152_0 水上勉の同名小説を「鮫」の鈴木尚之が脚色「宮本武蔵 一条寺の決闘」の内田吐夢が監督した推理劇。撮影は「路傍の石(1963)」の仲沢半次郎。名匠・内田吐夢監督による日本映画史上に残る不朽の名作。困窮を極めた人間の欲望と運命、そして善悪とは……!? さまざまな人物の人生の変転を複雑な社会機構を背景に巧みに描いた傑作。戦後の混乱冷めやらぬ頃、台風が津軽海峡を襲い、青函連絡船が沈没。だが収容した死体は乗客名簿より2名多かった。転覆事故のどさくさにまぎれた殺人事件の犯人を、老刑事・弓坂は10年に渡って追い続けていた……。心の中に潜む善と悪を描くサスペンス。

G50619  【あらすじ】 敗戦間もない昭和22年、青函連絡船・層雲丸が台風の直撃により沈没した。一方、その日岩内町では町の8割を焼き尽くす大火事が発生していた。そして、焼け跡の質屋から一家惨殺死体が発見され、大金が奪われていた。更に層雲丸沈没による遭難者の死体を引き上げた際、引き取り手のない2名の死体が残った。「この2名は他殺なのではないか?」早速捜査を開始する函館署の弓坂刑事の前に、一人の大男・犬飼多吉の存在が浮び上がる……。

Kiga5  【ものがたり】 昭和22年9月20日。10号台風の最中に北海道岩内で凶悪事件が発生。質店の一家三人が惨殺され、犯人は放火後、姿をくらましたのだ。そして折からの台風のため嵐となった津軽海峡で青函連絡船“層雲丸”沈没の惨事が起き、船客532名の生命を奪った。遺体収容にあたった函館警察の弓坂刑事(伴淳三郎)は、引き取り手もなく船客名簿にもない二つの死体に疑惑を抱いたことから質店一家殺しの犯人の糸口を掴み、岩内警察からの事件の報告も、弓坂に確信を持たせた。

Kiga4 Kiga2  事件の三日前、朝日温泉に出かけた質屋の主人は、この日、網走刑務所を出所した強盗犯沼田八郎(最上逸馬)と木島忠吉(安藤三男)、それに札幌の犬飼多吉(三國連太郎)と名乗る大男と同宿していた。質屋の主人が、自宅に78万円の現金を保管していたことも判明した。弓坂は、犬飼多吉が記帳したとされる宿帳の住所を訪ねたが該当者は見当たらず、沼田と木島の複製写真が出来るまでは死体の照合も出来なかった。だが弓坂は遺体収容でごった返している浜で漁師から聴取した“消防団と名乗る大男が、連絡船の遺体を引き上げるため、船を借りていった”という証言により、犬飼が渡ったと見られる青森県下北半島に向かい、そこで船を焼いた痕跡を発見した。“犬飼が上陸したことは間違いない”と確信し、焼け跡の灰をハンカチに包んで持ち帰る。

Kiga8 その頃、杉戸八重(左幸子)は貧しい家庭を支えるために大湊(現むつ市)で娼婦になっていたが、一夜を共にした犬飼は、八重に三万四千円の金を手渡し、黙って去った。

Kiga7_2 悲惨な境涯から抜け出したいと願っていながら、現実に押しつぶされかけていた八重に、その大金は思いがけない希望を与えてくれるものだった。八重はその恩人への感謝のつもりで、自分が切ってやった大きな爪を肌身に付けて持っていた。そんな時、八重の前に犬飼の件で弓坂が聞き込みに現われたが、八重は犬飼を庇って何も話さなかった。八重は借金を返済すると、密かに東京へ発った。

Kiga6_2  一方、写真鑑定の結果死体は沼田と木島であり、二人は“事件後に逃亡中、金の奪い合いから犬飼に殺害された”と推定された。その犬飼を知っている者は八重だけであった。弓坂の労もむなしく、終戦後、間もない混乱期であり八重を発見する事は出来ず、そのうち捜査本部も解散、事件は迷宮入りとなる。

Kiga9  それから10年後、皮肉な運命の歯車は回り始めた。一途な女の愛の執念は、愛する男を新たなる犯罪の渦中へと引きずり込んで行くのだった……。東京へ出た八重は、やはり娼館で働いていた。ふと新聞に目が止まり、10年間思い続けてきた“犬飼”の写真を発見する。“舞鶴の澱紛工場主の樽見京一郎氏、刑余更生事業資金に三千万寄贈”という記事を見た八重Kiga10_2は、“犬飼さんに会って、一言お礼が言いたい”という一念で舞鶴へ向かった。 しかし八重が訪ねた樽見京一郎は「犬飼などという男は知りません。大湊へ行ったことはありますが、あなたとは初対面ですし、まして金を渡すなど、そんな事は絶対にない」(関西弁での台詞)と素気なく否定されてしまった。それでも必死に食い下がる八重を持て余した樽見は、いつしか現実と過去が入り交じり、混濁した意識のなか、とうとう八重を絞殺してしまった。

Kigakaikyo320240_s1_2  我に返り、悔やむ樽見だったが、殺人現場を書生に見られてしまい、二人を無理心中に仕立て、遺棄してしまう。こうして八重は樽見を訪問した翌日、樽見家の書生と心中死体となって発見された。だが女の頸椎が折られていた事に疑問を持った東舞鶴警察の味村刑事は、偽装殺人ではないかと疑う。また、懐中から“舞鶴の澱紛工場主樽見京一郎氏が、刑余更生事業資金に三千万を寄贈した”という新聞の切り抜きを発見し、樽見京一郎と女との関係を捜査し始める。

 樽見京一郎の本籍を訪ねた味村刑事らは、とても人間が住むような所ではなく、極貧だったであろう生い立ちを、その廃屋から感じとっていた。「そういった所で暮らしてきた者は、どういう考えを持ち、どういった行動をとるのだろうか?」と、舞鶴署に戻った味村は署長に報告するのだった。

 東舞鶴警察は遺体検分のため、大湊から父の長左衛門、東京から娼館の主人・本島を呼び寄せた。本島は味村刑事に「気立ての良い娘で、爪に火を灯すように貯めた金を置いて、心中なんてするもんですかねぇ? 私には信じられない」と言い、八重の父親からは「十年前に、八重の所へ函館署の弓坂という刑事が来たことがあった」との証言を聞き及び、すぐさま函館に向かった。樽見が犬飼であるという確証は、昔の犯行の罪滅ぼしに、彼が刑余者更生に寄附したことだ、と位置づけた。

117310403615711744Kiga11  現在は函館警察署を退職し、困窮した生活を強いられていた弓坂を味村刑事が訪ね、10年前の事件の捜査に協力して欲しいと懇願する。弓坂の家族は、いまさら昔の事件などへ介入する事に反対する。だが、弓坂は“自分に架せられた、一生の仕事だ”と味村刑事と共に舞鶴へ向かう。捜査本部は執拗に樽見を責めるが、樽見はしらを切り通すのであった。樽見の大罪は、八重が東京の娼館に残してきた柳行李の中から発見された“純愛の記念にと残した、犬飼の爪と三万四千円を包んだ、当時の岩内事件の古新聞”から崩れていった。

Kiga14Kiga13_2  八重殺しは認めた樽見であったが、10年前の、沼田と木島の件は正当防衛であり、それを立証するため函館へ連れていって欲しいと言い出す。青函連絡船で函館へ護送される途中、津軽海峡で恐山を前にし、般若心経を唱える弓坂。そして、樽見は献花を海に投げるフリをして、あっという間に護送する刑事たちを尻目に、投身自殺してしまう。暗い海に残されたのは、青函連絡船の白い軌跡だけであった……。

Kiga12 弓坂: 「誠に悲しいことです。お互いに、人間と人間が信頼し合えないなんて……。あんたは八重さんさえも信じなかった。」

 「樽見さん。あんたが歩んできた道には草も木も生えんのですか?……」という台詞が、この物語のすべてを語っているように思える。

 【あとがき】 “洞爺丸”遭難事故を題材に作られた原作であるが、時は異にしている。また、青函連絡船関係者によると“映画のような投身自殺は無理であろう”という見解を発表している。

 伴淳三郎という喜劇俳優を主役に抜擢した内田吐夢監督は、演技指導を繰り返し、為にすっかり意気消沈してしまった伴淳三郎であったが、喜劇俳優から脱皮した“伴淳”を見事に世に送り出したのである。それほど見応えのある骨太の演技に脱帽する。

Photo1961_2 喜劇役者や軽妙な演技で定評のある俳優が開眼したといえる作品を少しだけご紹介してみよう。フランキー堺主演「私は貝になりたい」(1959/東宝)と、小林桂樹・高峰秀子主演「名もなく貧しく美しく」(1961/東宝)である。二人の俳優ともに、東宝の専属で森繁久彌主演「社長漫遊シリーズ」、「駅前シリーズ」などでコミカルな演技を得意とする俳優さんで あった。小林桂樹主演「裸の大将・放1958浪記」(1958/東宝)は、山下清の自伝的映画でしたが、芦屋雁之助 主演のテレビドラマより、一味もふた味も違う、上手い演技で、凄く面白かった事を記憶しています。「名もなく貧しく美しく」では、聾唖者の夫婦の情愛をきめ細かく演じた秀作です。「私は貝になりたい」は、飄々としたフランキー堺が戦後内地に帰り職業の理髪店にMPが現れ、有無を言わさずB・C級戦犯として現地で裁かれ絞首刑になる、という不条理な物語でした。

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「ファイナル・カウント・ダウン / THE FINAL COUNTDOWN」

1980new 1980年(昭和55年)・アメリカ(松竹=富士/SF)・114分

お薦め度: ★★★★★ coldsweats01

監督: ドン・テイラー  原作: トーマス・ハンター

出演: カーク・ダグラス (マシュー・イーランド大佐(艦長))  マーティン・シーン (ウォーレン・ラスキー)  ジェームズ・ファレンティノ (リチャード・T・オーウェンス中佐)  キャサリン・ロス (ローレル・スコット秘書)  ロン・オニール (ダン・サーマン)  チャールズ・ダーニング (サミュエル・チャップマン上院議員)  スーン=テック・オー (シムラ日本軍機搭乗員)  ヴィクター・モヒカ  ロイド・カウフマン  ピーター・ダグラス  リチャード・リバティー  ゲイリー・モーガン  ダン・フィッツジェラルド

 今回の作品は、古いですよ。でも、面白いのでご紹介いたします。この作品はVTRで保存しているので、近々DVDに再編集するつもりでいます。

 【公開当時のキャッチ・コピー】 ――かつてないスケールと空前のミステリーが支配する映画史上最大のスペース・トリック戦争巨編! 原子力空母ニミッツvs零戦。世界最強の原子力空母ニミッツは未知の青白い稲妻と共に消滅した。そして1941年12月7日―零戦が飛来する真珠湾沖を航行していた。一瞬の青白い稲妻の中に歴史の逆転を見た――

Finalcountdown9_2Finalcountdown5  製作費2000万ドルをかけたSF戦争スペクタクル。1980年。ハワイ沖を航行していた原子力空母ニミッツは、突然、閃光に襲われ1941年の真珠湾攻撃直前の太平洋にタイムスリップ。まさに日本軍が真珠湾に奇襲をかける寸前だと知る乗組員たちは最新鋭戦闘機F-14によるゼロ戦との戦闘に突入するかに見えた……。かつてないスケールと空前のミステリーで描く、アメリカ映画、最高最大のスペース・トリック戦争巨篇。「史上最大の作戦」「バルジ大作戦」から連合国軍の敗戦を扱った「遠すぎた橋」まで世界史上の戦争をことごとく映画化してきたアメリカ映画界が、全く新しい戦争大作を完成した。それがこのスペース・トリック戦争映画「ファイナル・カウント・ダウン」。時間や空間を超え、超宇宙的な解釈の中で近・未来の戦争スペクタルクを描こうとするというもので、これがアメリカ映画の新しい大作主義の動向と言える。荒唐無稽なだけのスペース・ファンタジー映画とは一味も二味も違うS F映画である。

Finalcountdown3Finalcountdown8  出演者もこの大作にふさわしい、異色なキャスティングが組まれた。主演のニミッツ艦長イーランド大佐に「明日なき追撃」「フューリー」のカーク・ダグラス。国防省からオブザーバーとして派遣されて来た男に「カサンドラ・クロス」「地獄の黙示録」のマーチン・シーン。真珠湾奇襲攻撃の前日、謎の失踪蒸発をしたという大統領候補に「スティング」 「クワイヤボーイズ」のチャールズ・ダーニング。その上院議員秘書に「明日に向かって撃て!」「さすらいの航海」のキャサリン・ロス。ニミッツの航空隊指揮官に舞台で「カッコーの巣の上で」の主役を演じた「ナタリーの朝」のジェームズ・ファレンチーノなど、単なる戦争アクションに終らない風格をそなえている。                                                   

Va82vf847b90f76b1f7cd19b4546e4477045bc3f  海軍省とグラマン・エアロスペー社を3年かけて説得、製作全面協力させたプロデューサーに、カーク・ダグラスの三男ピーター・ビンセント・ダグラス。F14トムキャット、SH3DシーキングASWヘリコプターのの現役パイロットを総動員させるなど、彼の映画に賭ける情熱は、兄マイケルの「カッコーの巣の上で」以上に、精力的で目を見はらせるものがある。製作総指揮は、アメリカで一番注目を集めている「ワンダラーズ」のリチャード・セント・ジョンズ。監督は娯楽映画の職人と言われる「オーメン2」のドン・テーラー。音楽に「怒りの日」「ノース・ダラス40」のジョン・スコットがあたり、壮大な曲を書き上げた。この映画の巨大なるミステリーを書き上げた脚本をデビッド・アンブローズ、ゲーリー・デイビス、トーマス・ハンター、ピーター・パウエルの4人が共同執筆している。

Finalcountdown183t834083c83i838b83j83e839383g83_83  製作者とグラマン社と共に、F14トムキャットに乗せる撮影用特殊カメラを一年余を費し開発、97艦攻・99式艦爆・ゼロ戦編隊(テキサン練習機を改造)との空中戦を見事に映像化した撮影にビクター・J・ケムパー。特殊視覚効果はモーリス・バインダー。特殊効果にパット&ゲーリー・エルメンドルフとジョー・デイ。

 製作費に2000万ドルとは凄いと思いますが、作品中の殆どが空母主体の撮影に“何にそれほど金を掛けたの?”という疑問がありますが、特殊機材の開発という“目には見えない”ものだったんですね。

Finalcountdown6The_final_countdown_1980 【ものがたり】 1980年12月7日、ハワイ沖200マイルの海上をアメリカの原子力空母ニミッツが航行していた。艦長のイーランド大佐(カーク・ダグラス)は着艦する超音速戦闘機F14トムキャットの様子をブリッジから見守っている。今回は国防省から派遣されたオブザーバーのウォーレン・ラスキー(マーティン・シーン)も乗船していた。やがて気象官から、気象が変化して落雷の雲が発生したと報告が入り、イーランド艦長は全航行中のF14トムキャットの帰還を早くするように命令する。すると突然、付近の海上は濃霧に包まれ、稲妻が走り青白い光に覆われたと思うと、高周波のノイズが乗組員5,300名全員の耳を襲った。しばらくして、天候は平常に戻り海上も穏やFinalcountdown7かになった。無線係から“奇妙な音声を捉えた”と報告が入り、周波数を合わせ てみると1940年代のミュージックが流れてきた。そして前方からレシプロ機らしきものをレーダーで確認した、という報告が入った。緊急スクランブルを命令され発艦したF14トムキャットは旧日本海軍の零式戦闘機を発見したのだった。このゼロ戦は、海上で船遊びを楽しんでいた小型クルーザーを攻撃していた。乗船していた数名のうち、漂流していた男女二名と撃墜したゼロ戦の搭乗員を救出し、空母ニミッツに収容した。

Finalcountdown2  ニミッツは巨大なタイム・スリップに遭遇したのだった。一瞬の後、そこは1941年12月7日の日本帝国海軍による真珠湾奇襲時のハワイ沖に変貌していた! 呆然として、混乱していたイーランド艦長だったが、偵察用ゼロ戦を撃墜させ、そこで当時の大統領候補チャップマン上院議員とその秘書を救出したことから、この空前のミステリーとスペース・トリックが始まる。

B43b26f3f925b1879f5139d35239e210  真珠湾をめざす『赤城』『加賀』『飛龍』など空母6隻から飛び立った第一次攻撃隊のゼロ戦138機が上空を埋めつくしている。ゼロ戦を撃ち落せ!とF14戦闘機に緊急発進の艦長命令が下された。ここに40年の歴史の空間を超えて目を疑う、一大空中戦が開始されようとしていた。だが、“歴史を変えてはいけない……”と、戦闘は中止され、目の前を過ぎていく日本軍の攻撃隊によって、史実通り“真珠湾攻撃”は敢行された。この時、戦闘が開始されていれば、まったく違った作品になっていたはずだし、過去の歴史が示す通りにアメリカ軍が闘えば、真珠湾攻撃は失敗に終わり、後における幾多の“~海戦”、また“戦艦大和沖縄特攻”“広島・長崎原爆投下”などもなく、一体どうなったのであろうか? 初戦で“コケ”たのなら、日本は戦争にならなかったでしょうね。

 何事もなかったかのように帰港したニミッツであったが、タイム・スリップ中に死亡したり、行方不明になった者は時代の歴史からは忘れ去られていた。だが、空母から降り立ったラスキーの前に止まったリムジンには、思わぬ人物が乗っていた……。という大どんでん返しで終了する。

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